飲み屋で熱く語る ”野球好きオヤジ” の勝手な独り言

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早慶戦

早慶戦
日本の野球の原点。
Baseball とは似て非なるもの。
野球オヤジを自称するにあたっては、避けては通れない日本の文化。
これについて、語ってしまう。
はずかしながらこの早慶戦を実際に観戦したことがなかったので、2013年6月2日、とうとう神宮球場にいってまいりました。
その観想は後回しにして、まずは歴史より (各ホームページより抜粋して引用)。
 
1.    慶應義塾ホームページ
http://www.keio.ac.jp/ja/contents/history_topics/1.html) より
早慶戦100年
東京六大学野球の早慶戦は、2003年に100年を迎えました。過去に数々の名勝負を見せてきた早慶戦。それは、歓声の沸き起こる神宮球場を両分する3塁側義塾と1塁側早稲田の、天下分目の戦いでもあります。

早稲田大学からの挑戦状(第1回早慶戦)
明治36(1903)年11月21日、早慶戦第1回戦が義塾の三田綱町グラウンドで行われた。
この戦いは明治34(1901)年創部の早稲田が、9年早く発足した義塾に「教えを請いたい」と対戦を申し込んだもので、「(早稲田の)選手皆幼稚を免れず候に就ては近日之中御教示にあづかり以て大に学ぶ所あらば素志此上も無之候」との一戦申込みに、義塾も「貴校と当校とは是非共マッチを致す可き者」とただちに応答したことから実現した。
約3000人の観衆を集めた試合は、11対9で義塾の勝利。早稲田の選手たちは朝から下駄を鳴らしながら戸塚村(現在の早稲田)を出発、三田までの13キロの道を歩いて来たという。
両校がライバルとなった歴史的第一戦であった。
 
   2.    早稲田大学競技スポーツセンターのホームページ(http://waseda-sports.jp/center/soukei/)より
早慶戦のはじまり
明治36年(1903)11月5日、早稲田大学野球部から、先輩格の慶應義塾大学野球部に挑戦状を送りました。挑戦状の筆をとったのは、当時の早稲田大学第2代主将、橋戸 信であったと言われています。
11月21日午後1時30分、快晴のなか、三田綱町の慶応義塾運動場にて第1回早慶戦が行われました。結果は11対9で慶應義塾の勝利。早稲田は善戦しました。これがのちに伝統を誇る「早慶戦」のはじまりです。スポーツやその他分野での「早慶戦」は、ここからはじまりました。
明治38年(1905)、早稲田大学野球部は米国遠征により野球の母国で最新技術を学び、帰国後、早慶定期戦を行います。しかし、明治39年(1906)、両校応援団が極度に熱狂したため、慶應義塾鎌田塾長が大隈重信伯、安部野球部長を訪問し、両校応援団の衝突および危険回避のため、早慶戦の中止を決めました。
その後、明治大学、法政大学、立教大学とも試合を行いますが、「早慶戦」だけは行われることはありませんでした。東京帝国大学(東京大学)も参加し、現在の東京六大学連盟が形成されていくことになります。
あれから19年。大正14年(1925)10月19日、 早稲田大学戸塚球場にて「早慶戦」が再開されます。安部野球部長は戸塚球場2塁上にて観衆に対し、早慶戦復活と野球の発展、両校の応援が天下の模範となることを訴え、観衆一同は感激し拍手で応え、立派な試合が行われました。結果は、11対0で早稲田の勝利。2回戦も勝ち、大正14年(1925)秋季リーグ戦に優勝しました。
 
3.    早稲田大学応援部のホームページ
http://www.w-ouen.com/league/hosoku.html#daiikkai) より
第1回早慶戦
明治34年11月、早稲田大学に野球部が創設された。当時の日本一は一高であった。これに次いで、横浜外人クラ
ブ、慶應、学習院という順序で駆け出しの早稲田は足元にも及ばないというのが一般の下馬評であった。第一回早慶戦
明治35年春、早稲田は学習院と農科大学に試合を申し込むが、物の見事に大敗を喫した。以後、猛練習に励んだ早稲田は明治36年に横浜外人クラブと一戦を交え、世間の予想を覆し、これを撃破した。
 (右図 第1回早慶戦に出場した両軍メンバー)
 こうして早稲田は、強敵慶應に試合を申し込み挑戦状を送った。これが早慶が戦を交えた最初で、明治36年秋のことだった。
第1回目は慶應の勝利に終わったが、試合後両チームは今後、春秋一度ずつ互いに手合わせする事、球場は交代で使用することを約束し早慶戦の歴史がここに始まった。翌年には早慶両校が当時の覇者一高を破り、日本野球界の覇権を競うようになった。

いかにも伝統と歴史の重みを感じざるを得ないのであるが、予想外であったのは、早稲田より慶應の方が9年もはやく野球部が創設されていたこと、早稲田よりも学習院と農科大学(東京帝国大学の前身校である帝国大学に設置された農学の分科大学)のほうが野球部創設が早かったことである。
当然、早稲田と慶應が最も早く野球部を創設して、定期戦をしているものとの思いは打ち砕かれたのである。
一番最初ではないのになぜに、これほどまでに深く浸透しているのであろうか。
そのへんは、戦争の影響やらなんやらかんやら各大学のホムページにあるので参照されたいが、特殊な対戦であるのは確かであるようだ。
さて、少しだけ早慶戦観戦の観想を書いてしまうのである。早慶戦2
まず、歴史の重みは感じざるをえない。
野球自体は別に他の大学の野球と大きく変わることはない。選手にしても何人かは高校野球時代から見てきた選手である。
それでは何が異なるのか。
 1. ユニフォーム 伝統のユニフォームや独特な形の早稲田の野球帽な
 2. 一塁側 早稲田、三塁側 慶應に固定されて行わる試合
 3. 応援団、応援歌、校歌
 4. OB、現役が一体となったそれぞれのスタンドの雰囲気
 5.球場外での各学生の雰囲気、熱気
早慶戦1
おおむねこんな感じであろうか。
試合自体は普通の大学対抗戦であるが、スタンド全体が愛校心に満ち溢れていて、第三者ではあったが郷愁すら感じてしまったのである。
野球ファンであるならば一度は雰囲気を味わっていただきたいのである。
今回は早稲田側 (一塁側) で観戦したのであるが、スタンドは一丸となって同窓会の雰囲気であった。
老若男女が入りまじり、それぞれ日常はいろいろなストレスを抱えているのかもしれないが、観戦中は熱狂的な同窓会集団と化しているのである。
日々いろいろなことがあっても春、秋の2回、少なくとも2試合づつは行われる、この一大イベントで関係者は大盛り上がり出来るのである。
本当は知り合いでもない隣り通しで肩なんか組んで、校歌なんか歌ってしまうのである。
しかも試合中に何回もである。
さらにさらに、ビールなんか飲みたい放題なのである。
これだけでも、早稲田か慶應に入学する意義があるのである。
でも簡単には入れてくれないのである。
どっちの大学もケチなのである。
同校の OB がうらやましい限りである。
ただし、最低限の強さは維持しなければならないと思うのである。

いつもいつも東都リーグや関西の大学なんかに負けているようではいけないのである。

早慶戦とは、「野球は演歌」の原点というより 『伝統芸能』 の域に達していると感じたのであった。 


 

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